奈良県立万葉文化館で展覧会(^_-)-☆

奈良・明日香万葉の地で、「万葉集をテーマとする書展」2021年2月開催が決定いたしました!!! 古代、日本の礎を築いたこの地にたたずむ美術館であり博物館、そして遺跡である万葉文化館。江仙と門下師範組は、持統時代を中心に、律令国家へと形成されていく、その時代の万葉集にスポットを当て、現在制作しています。

作品の一部をご紹介。
大祓詞。聖武天皇による廬舎那仏開眼へとつながる古代、天皇と神道、そして仏教との関係性は如何に。

尋常ではない回数での吉野行幸。時代は下り、実際には咲かない季節にも回想したという椿……春の佳き日の吉野を想うのか。

「扇面法華経冊子をオマージュ」
装飾された扇面への法華経をこれまで美術館博物館で目にして来た。
平安時代のものである。
聖徳太子が「法華経義疏」を書写した後、天平時代になると官位の「写経所」が設けられ、印刷技術のある現代では計り知れない写経が行われたという。
その後、聖武天皇が紫紙金字の法華経を国分尼寺に納めるよう発令されたという史実、そして現存する法華経写経。
つい最近、紫紙金字の法華経を鑑賞した。これで不揃いとされるのか?と写経生の線質の鋭さに驚愕、
そのタイミングで、現代装飾された和紙が一枚届いた。
朱や緑が弧を描いて重なる文様に天平や平安が重なる。
この和紙に、扇面法華経をオマージュしたい、そう思った。

山上憶良は、大宝二年、702年第7回遣唐使として入唐
海の無い明日香の都を出て、計器もない遣唐使船で、当時の技と感覚を頼りに大海を航り、唐を目指す。
大国との外交や、文化を学び持ち帰るという大きな使命を受け遣わされる遣唐使。当時の精鋭達である。
安全性も大きさも決して十分では無い船に、百名以上乗り込んだという。しかも四隻で出航する理由は、せめて一隻でも辿り着くように、という意味も込められていたのだと。
自身も遣唐使であった晩年の山上憶良が、今正に旅立うとする多治比広成に送った歌であり、同年、山上憶良は没したとも言われている。
そうした歴史に思いを馳せる時、
この波型の和紙を、敢えて縦に使い、遥かな唐を目指して大海原へと漕ぎ出す様子を描きたいと思った。
精鋭達に敬意を払い、文字は形を大きく崩さず凛とし、荒波にも耐え、一丸となって目指したであろうその姿を。

大祓詞、祭祀に唱える祝詞は、現在にも受け繋がれている。受け継ぐ……それは、伝統文化を受け継ぐことにも重なり、命が繋がれていくことにも結び付いた。そこで思い浮かんだ遺伝子の鎖上につながる様子。ロールしながら書いてみたい……